「しっぽのないシッポさん」のコラム

育自⑥‐お母さんのピアノ‐


 疲れの原因は分かっていた。
 私はスクーリングでの出会いに興奮し、それはやがて「テキストを通してではなく、「直に先生方と接したい」という思いに変わっていた…。スクーリングに疲れたのではなく、それまでの孤独な取り組みと閉塞感とに疲れていることに気づいたのだ。
 「やっぱり、通学しよう」。私はこの思いの中で積極的に「挫折」することにし、退学した。事務局の担当者は、「みんなスクーリングでやる気になるんですが…」と、私の選択を理解しなかった。しかし、彼にその責任はない。大切なのは自分で選んだということなのだ。私の中に敗北感はなかった。今までやってきたことはそのまま受験勉強として生かされるだろう。また、生かさなければならない。周囲の協力を裏切ってはならない。「どんなことがあってもやり遂げよう」。
 しばらくして、我が家の居間には、ピアノが鎮座した。「祝!ピアノ様ご来宅」とばかりに乾杯したが、子どものためにという家はあっても「お母さんのピアノ」を購入する家はあまりないだろう。胸が痛んだ。私は、今後に備えてピアノの先生に指導を受けることにした。

コラム掲載年月日「山口新聞」1996.11.1~1996.12.27:文中の名称は「当時」


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

名前*
メールアドレス*
ウェブサイト
コメント

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>