「しっぽのないシッポさん」のコラム

育自⑦ ‐夫の育自‐


 それが縁となって、やがて娘もピアノを習いはじめた。私たちは親らしい欲を出して、息子も通わせようとしたが、「ぼくはイヤなの」ときっぱり断られてしまった。後年、高校生になってギターを弾き始めた息子が「引きずってでも連れて行ってくれていたらよかったのにぃ…」と言い出して、家中大笑いになった。それにしても、身勝手な母親であり妻であり、嫁であった。しかし、この身勝手さは、夫という最も身近な他人が理解を示してくれたからこそできたことである。
 夫は、高校卒業後、社会人経験3年を経て大学に入り、希望だった教職に就いている。また、私が短大卒業後四年して編入した大学を39歳で卒業したその春に、44歳で大学院に行った。もちろん、本人の意欲が前提のことであるが、行かせていただいたものである。そういう人だったから私のわがままを許してくれた、ともいえるだろう。夫に「なぜ、反対しなかったの」と聞いたことがある。「反対しても聞かなかったと思う。宣言というような迫力でお願いされたら、譲るしかない。ぼくは弱いからねぇ」と笑っていた。私には「優しいからねぇ」と聞こえた。

コラム掲載年月日「山口新聞」1996.11.1~1996.12.27:文中の名称は「当時」


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