インド・ネパール旅行記⑥‐ナーランダー仏教大学跡などを訪ねて‐
カテゴリ:レポート 投稿日時:2013年2月24日7:00 PM コメント:8 Comments
旅行4日目(2012.12.20・木)。
私たちは西ベンガル州(コルカタ)から(17日)インドに入りました。
翌日(18日)、列車で北東部に移動しビハール州(ブッダガヤー)に来ています。
ビハール州中部には、
その源流をヒマラヤ山脈にもちベンガル湾に注ぎ込むガンジス河(Ganges)が横切るように流れ、
北部にはネパールとの国境があります。
その国境を私たちが越えるのは、
旅行8日目(24日)の予定です。
さて、旅行3日目の昨日(19日)は、1日をかけて⑥「ご成道」の地ブッダガヤーを参拝しました。
今日は、王舎城城壁→ナーランダー仏教大学跡→昼食→七重の牢獄跡→霊鷲山(りょうじゅせん)の参拝・見学です。
ホテルを出て(8:05)、専用バスで移動。
仏塔があるということで昨日麓から遥拝した象頭山をもう一度仰ぎ、途中、タイ仏教寺院で休憩させていただきました。
ホテルを出てから3時間近く揺られ、王舎城の城壁跡に到着。
城壁は、ブッダ在世当時のBC4C、古代インド(現・北インド)で栄えていたマガダ(Magadha)国の都ラジギール(Rajgir)を取り囲んでいたものです。
ラジギールには、そこでブッダがマガダ国王ビンビサーラ(Bimbisara)を帰依させたといわれる霊鷲山(りょうじゅせん/グリッダクータ:griddhakuta)や、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ/ヴェヌバナカランダカニヴァパ:Venuvana Kalandakanivapa)があります。
竹林精舎には王ビンビサーラによって伽藍が建立され、ブッダの弟子たちが戒律に基づいて修行したところから、ラジギールは僧院という概念が生まれた地としても位置付けられています。
竹林精舎へは、明日(21日)参拝する予定です。
七重の牢獄跡や霊鷲山へはナーランダー仏教大学を参観し、昼食をいただいて後のこととなります。
専用バスは一旦ラジギールを出てナーランダーへ移動し、
大学跡地で参拝です。
仏教大学(Nalanda University)は、
AD5C初頭から建設が始まりました。
中国の伝奇小説「西遊記」でなじみ深い玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)※1は、
実在した僧です。
彼はここに留学(632年・31歳)し、
5年に渡り研究生活を送っています。
上下水道も完備されたキャンパスは、
10×6㎞もの広さであったとか。
最盛期には約1万人の学生と約1500人の教師がここに住んでおり、
当時としては世界最大級の仏教大学であったいわれています。
しかし、1203年にイスラム教との衝突により破壊されてしまい、
この遺跡は19世紀に入ってから発見されました。
イスラム教は偶像崇拝を否定する立場にあります。
多くの仏像や経典を収蔵していたナーランダー仏教大学は、
イスラム軍によって焼きつくされ、
その燃える炎と煙は半年近くも続いたといわれています。
仏教徒はイスラム教への改宗を余議なくされ、
ヒンドゥー教へ帰依しようとした者は最下層に組み入れられてしまうなどし、
インド国内における仏教は衰退しました。
また、一部の僧は国外に逃亡し、
その結果、
仏教が東南アジア各地に広がってゆくことにもなりました。
子どもに恵まれたいと願ったマガダ国王ビンビサーラは、
占い師のことばに惑わされ仙人を殺してしまいます。
仙人はいまわのきわに、
生まれてくる子どもは父親を殺す運命をもっていると予言しました。
王妃イダイケは、
悩みながらも子どもの死を願い高い塔から産み落としましたが、
子どもは足に傷痕を残すだけで助かりました。
王子アジャセは長じて後、
教団を統率したいという野望に燃えるブッダの従弟ダイバダッタ(Devadatta)に、
父母へのうらみを煽られ王位を奪うようにそそのかされます。
王は牢獄に幽閉され、食べ物を運んだ王妃も捕えられてしまいます。
王は餓死させられましたが、
母親を殺害するとは非道であるという臣下の反発から、
王妃は殺されずにすみました。
その後、
アジャセは後悔の念にさいなまれ、
身体中から膿が流れ熱と悪臭に悶え苦しみましたが、
ブッダの慈悲と母親の看病により救われます。
懺悔したアジャセは帰依し、
父王ビンビサーラに倣って仏教の強力な保護者となりました。
この史実は、
学院生にとっては「阿闍世の物語」として 「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」※2や
念仏の「南無阿弥陀仏(浄土真宗本願寺派:なもあみだぶつ)」にまつわるものです。
私にとっては、
精神科医・古澤 平作(こざわ へいさく)により理論化された
「阿闍世(アジャセ)コンプレックス」(1932)※3にまつわるものです。
王妃イダイケが捕えられた後は獄窓も塞がれ、
足の裏を削がれ立つことすらもできなくなった王は自死したとも伝えられています。
牢獄跡の荒涼とした風景のなかに立つと、
王ビンビサーラがブッダを思い見上げていたであろう霊鷲山が望めました。
私たちがこれから向かうのが、その霊鷲山です。
霊鷲山はビハ―ル州のほぼ中央・ラジギール北東にあり、
ブッダが説法をした山といわれています。
霊鷲山はブッダゆかりのものとして記録されてはいたものの、
長い間特定されていませんでした。
1903年に、
浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞により編成された学術探検隊により
発見されました。

参拝後、夕陽を浴びながら‐日没を待ち幻想的な風景を堪能-
ロープウエィや籠もありますが、
私たちは山頂まで往復40分程度の歩きです。
山頂ではいつもの通り、
冷たい石の上に素足で座しての参拝です。
しかし、ブッダもこの場所に座して説法をしていたことや、
王ビンビサーラが獄窓からここを見上げていたという史実は、
学院生にとって格別なものであろうことは容易に想像できます。
私は一緒に参拝させていただきながらも、
沈みゆく太陽と学院生の真摯な姿をできるだけ多く撮りたいと、
何度も何度もシャッターを切っていました。
画像は、参拝後に思い思いに日没を待っているところです。
下山してホテルに戻り(17:35)、夕食です。
夕食は、昼食に続き日本食でした。
私たちはカレー料理を楽しみながらも、
早くも2日目の夕食で口にしたお椀一杯の味噌汁にホッとしていました。
今日は久し振りに、本格的?インド風!日本料理です。
画像は、昼食です。
黒コショーの効いた出汁に少しばかり驚きましたが、
どなたかの「沖縄のソーキそばに似た味がする…」の声に、
うどんを新鮮な気持ちで味わうことができました。
夕食は、日本そばに小芋の煮つけやナスの田楽などでした。
食事をいただきながら、
今日一日を振り返り気づかされたことがありました。
食事のアレンジもそうですが、
今日、一端ラジギールを出てナーランダーに移動し、
また、ラジギールに戻ったのは、
日没の美しさにふれて欲しいという経験豊富な旅行社ならではのコーディネートだったのだと…。
そういえば、
他のグループと重ならないように微妙な時間調整もなされていたのだということにも気づかされたことでした。
明日(5日目)の予定です。
竹林精舎→ガンジス河にかかるマハトマ・ガンジー・ブリッジを渡り、バイシャリ(Vaishali )へ→昼食→僧院跡→仏塔跡→王宮跡を参拝・見学です。
明日に備えて、早めにおやすみなさい!
※1玄奘三蔵法師:仏教経典(三蔵/経蔵・律蔵・論蔵)に精通した僧に対する敬称。天竺(インド)から持ち帰ったサンスクリット語の経典を漢訳するなどした僧・玄奘(げんじょう:602‐664)をさすことが多い。
※2観無量寿経(かんむりょうじゅきょう):ブッダが王妃イダイケに説いた教え。
※3阿闍世(アジャセ)コンプレックス:精神科医・古澤 平作(こざわ へいさく:1897-1968)が、母親への抑圧された恨みに名づけたもの。小此木啓吾はこの概念に注目し、①母親との一体感②それが崩れたときの母親への恨みと攻撃③その感情を母親から許されたと感じたときに生じる罪悪感を、日本人の心理的特徴であるとして再提唱した。
ギリシャ悲劇「オイディプス王」の父殺母姦(父と知らずに殺し生母と結婚)をベースにした西欧文化を背景にもつ人々の心理的特徴であるとした、フロイト(Sigmund Freud, 1856- 1939)のエディプスコンプレックス(Oedipus complex)と対比して提示されることが多い。
シッポさん、
旅行記⑤⑥と読ませていただきました。
以前、勤めていた職場から帰る時、
夕日を背に受けながら、ハンドルを握り締め、
家路を急いでいたことを思い出しました。
ずっと、お日さまが沈むところを見ていない自分にも、気がつきました。
ありがとうございます。私も、
シッポさんの旅行記を読むことによって、
一緒に参拝させていただいたような気持ちに
なりました。
今は成人したピアのっこさんの子どもが
小さかった頃、私の親と
一緒によく歌っていた歌があります。
夕日
葛原しげる 作詞 室埼琴月 作曲
ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ
ぎんぎんぎらぎら日がしずむ
まっかっかっか空の雲
みんなのお顔もまっかっか
ぎんぎんぎらぎら 日がしずむ
明日は、我が家から見える夕日を
拝みたいと思います。
子どもの成長を願いながら、そして、
年を重ねていく親を思いながら……。
ピアのっこさん
読みづらい!で大評判?のシッポさんの旅行記ですが、2編続けて目を通していただけたのですね。
ありがとうございます。
「子どもの成長を願いながら、そして、
年を重ねていく親を思いながら……。」のことばに、私たちの思いはこのひとことに尽きると思いました。
「夕日」に「まっかっか」に染まるだけで、明日も元気!とエネルギーをもらったような気持ちになれましたよね。
何もかもが元気よく回っていきそうに思えるのは、お天道様の力でしょうか…。
年を重ねて良かったなと思うことのひとつに、今まで見過ごしていたものや見ようとしなかったものに目が向くようになったことがあります。
これからもそんな自分を大切にしてゆきたいです。
シッポさん、おはようございます。
旅行記も⑥ですね。
私もピアのっこさんと同じように一緒に参拝させて
いただいている気分です。
カメラマン シッポさんの写真を見ながら
その場にいる自分を感じます。
「夕日・夕陽」は一日の終わりに
人を落ち着かせてくれるますね。
「ぎんぎんぎらぎら…♪」
つい口ずさんでというより、結構斉唱して
しまいました。
いつもなつかしい歌を思いださせていただける
ピアのっこさんにもうれしい思いでいっぱいです。
ありがとうございます!
正座と山登りとか、なかなか私にはハードですが、
シッポさんブログなら付いていけそうです(#^.^#)
よろしくお願いいたします…。
しゅんりんちゃん
こんにちは!
読みづらい!で大評判?のシッポさんの旅行記です。
ご興味のあるなしもあろうかと…、個別のご案内を⑥からFBでのお知らせに限定してしまいました。
覗いていただき&コメントをいただき、ありがとうございます。
また、ピアのっこさんのコメントにも目を通していただいき、私もうれしく感じています。
これからも毎週日曜日19:00アップの予定ですので、よろしくお願いします。
自房後継者(寺を継ぐ者)でもなく、
妙好人(浄土真宗:篤信の信者)でもなく、
聖(ひじり:高徳の僧/寺院に所属せずひとり修行している隠遁僧)でもなく、
在家でもない私です。
ただ、ブッダについて知りたいという思いだけでご一緒させていただきました。
ただの巡礼者ですが、
ブログをアップしながら多くを学ばせていただいた、また、いただいている、
そして、今もなおその興味は尽きないという思いがあります。
しばらくお付き合いいただけそうで、心強いです。
シッポさん、こんばんわ。
ブログアップは、毎週日曜日19:00予定なんですね。
かしこまりました。
⑥までご一緒させていただいてますので
これからも付いて行こうかなと思います。
「巡礼者」の言葉の響きはとてもいいですね。
ちょっと控えめな信者であるような。
私はシッポさんのブログ巡礼をさせていただこう
と思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
しゅんりんちゃん
広辞苑には「巡礼・順礼」
①聖地・霊場を参拝してまわること
②諸所の霊場を巡拝する人
とあります。
学院生は①ですが、
シッポさんは②です。
ましてや、巡礼・者などでは決してありません。
①の方々の真摯な真摯なお姿を知っておりますので、謙虚に謙虚に、自分が凡人であることに誇りをもっています。
まだまだ続きます。
どうぞ、②のお立場で、お目通しいただけるとありがたいです。
シッポさん、
毎週日曜日19:00アップの予定!
何て素敵!
旅行記⑤のコメントは読んでいましたが、
スルーしてしまいました。
しゅんりんちゃんに見習い、私もしっかり
シッポさんの「ブログ巡礼」をさせて
いただこうと思います。
シッポさん、しゅんりんちゃんから
「継続は力なり」の大切さも
学ばせていただいています。
これからもよろしくお願いいたします。
ピアのっこさん
「何て素敵!」とのコメント…
豚ちゃんならずとも、登っちゃいますね。
「ブログ巡礼」ですか?
しゅんりんちゃんにも書きましたが、
広辞苑には
「巡礼・順礼」
①聖地・霊場を参拝してまわること
②諸所の霊場を巡拝する人 とあります。
②の立場で書いていますので、途中で物足りない!なんて叱られそう…。
そこのところ、ご承知の上お目通しくださいね。
これからもよろしくお願いします。