インド・ネパール旅行記⑧-ブッダが愛でた都バイシャリを訪ねて・その2‐
カテゴリ:レポート 投稿日時:2013年3月10日7:00 PM コメント:6 Comments
引き続き、旅行5日目(2012.12.21・金)。
朝食後、ラジギールの北側にある竹林精舎(Venuvana kalandakanivapa)への参拝を済ませました。
これから(8:00)、ガンジス河にかかるマハトマ・ガンジー・ブリッジを渡り、
バイシャリ(Vaishali )へ移動です。
途中でトイレ休憩を取るなどし、昼過ぎに到着(13:55)。
ホテルで遅い昼食を摂った後は、
僧院跡→仏塔※1跡地→王宮跡の順で参拝・参観です。
先ず、BC2C中頃にアショーカ王(Asoka)によって建立された柱の残る僧院跡で、参拝です。
ブッダの入滅(死去)※2から200余年後のBC274年頃、
古代北インドを治めていたマウリヤ(Maurya)王朝3代目アショーカ王は、
隣国カリンガーを征服しました。
しかし、長く激しい戦いのなかでその無常を感じます。
その後、仏教に帰依し保護することを通して、
政治を武力から仏教によるものへと転換し、
その教えや政治理念を彫り込んだものを含め30本近くの柱を、
国内外に建立しました。
アショーカ王柱側の仏塔は、地元ではブッダの弟子アーナンダ(Ananda)※3のものであるとされています。
また、アショーカ王はさらに仏教の普及を図るために、
ブッダ入滅後に近隣部族の争いにより分骨され納められた8ヶ所※4の仏塔の内7ヶ所を発掘し、
仏舎利※4を細分化し、
国内外8万4千ヶ所の寺院などに再分配し再埋葬を指示しました。
これよって仏教はインド各地に広がり、やがて、中国・朝鮮を経て日本にも伝来※5することとなります。
リッチャビ(Licchavi)族が持ち帰り納めた
仏塔跡です。
バイシャリは、
リッチャビ族が治めていた国の都です。
王をはじめ多くの人々が、
修行僧に対して敬意を払っていました。
ブッダが、
何度も逗留し、
また、この地を後にするとき、
バイシャリに思いを残したかのようなことばを残したことは、本編⑦で述べた通りです。
さて、ホテルへ戻り(17:00)部屋で一休みです。
夕食では、
いつもの食事風景にサプライズが…。
今日は、学院生の一人がお誕生日ということで、
バースデー・パーティで盛り上がりました。
ケーキの真ん中に立っている3本の鮮やかなグリーンは、
青トウガラシ!
かじったご本人にとっては、
これがホントのサプライズ!でした。
明日(22日)は、ケサリヤ仏塔→昼食→涅槃堂→荼毘塚→最後の説法地→八分骨地の予定です。
次回をお楽しみに!
※1仏塔(ぶっとう):ブッダの遺骨を納めた仏舎利塔の略で(ストゥーパ/stupa)という。スリランカではダーガバ、ミャンマーではパゴダ、タイではチェディといわれている。
※2ブッダ入滅年時:北方伝承AC463-383頃・566-486頃、南方伝承624-544頃と仏典により諸説がある。一般的にはBC486年。
※3アーナンダ(Ananda):ブッダの従弟で、デーヴァダッタ(Devadatta)の実弟。10人の高弟の内の一人。25年の間、常にブッダの側に在り教えを最も多く聞いているところから、「多聞第一」と称せられた。ブッダの死後、「頭陀第一」と称せられたマハーカーシャパ(Mahakasyapa:禅宗で尊信されている/日本では、臨済宗・栄西、曹洞宗・道元、黄檗宗・隠元)に次いで、教団の統率者となる。
※4ブッダ入滅時に分骨され8ヶ所に納められた:
容器と残った灰を加えて、
結果として、
周辺内外の10か所の寺院に奉納された。
1.マガダ国/アジャータシャトル王 2. バイシャリ/リッチャビ族 3.カピラ城/シャカ族 4.アラカッパ/プリ族
5.ラーマガーマ/コーリヤ族 6.ヴェータデーバ/バラモン 7.バーヴァー/マルラ族 8.クシナガラ/マルラ族
このうち、5.については、龍王が墓を守っており発掘できなかったというエピソードがある。
発掘されたのは、7ヶ所。
※4仏舎利(ぶっしゃり):ブッダの遺骨。入滅(亡くなっ)後、荼毘(だび:火葬)に付された際の遺骨・遺灰。
※5日本への仏教伝来:538年
おはようございます。シッポさん。
今朝はお日さまの顔)^o^(を見ることができません。
どうも雨のようです。
雨は、騒がれている黄砂、大気…、花粉、
最近は煙霧とやらまで、これらを少しでも
抑える効果はいかがなものでしょう。
マスクマンばかりですね。
さて、今回のシッポさんブログも
私は揚げ菓子とサプライズケーキに
ニヤッとしてしまいました。(スミマセン)
サプライズは、誰もを喜ばせますね。
たとえ青トウガラシをかじったとしても、ですね。
知らない国の食べ物は、今、自分の知っている中でしか
想像がつかないものですね。
写真を見て、また想像は膨らみますが、
写真ににおいがつくとどうでしょう…なんて
単純なことを思っています。
次回も「食べ物」あるでしょうか…。
しゅんりんちゃん
大陸からの飛来物を含め春のいたずらは、ちょっとしたハプニングを招きました。
昨日、某市内でマスクレデイに会いました。
明らかに、シッポさんを知っているぞという眼差しでしたので、ちょとタ・ジ・タ・ジモード…。
頭を下げますと、
「え~、私のこと覚えてないのお」というオーラが…。
(*_*)は覚えていても名前が思い出せないという年齢に達していますので、
(*_*)が分からないは、決定的にこちらが不利!
マスクがと言い訳しないで謝ると、
名前を名乗っていただけましたが、
(*_*)の6~7割が隠れているんですもの、勘弁してくださいです…。
さて1、「次回も『食べ物』あるでしょうか…。」に、ふ・ふ・ふです。
ご期待に添うことはやぶさかではありませんが、なんちゃって…
もう少し先になりますが、ネパールに入ってからをご期待下さい。
ネパールのマスクマンならぬイケメンも登場します。
さて2、あの青トウガラシは相当に辛かったようですよ。
主賓がちょっとだけかじって悲鳴をあげた後は、お小姓ならぬ若手添乗員氏に「食せよ」とミッションが下されました。
逃げまわった挙句、口に突っ込まれて悲鳴を上げていました。
ガイド氏は「え~、これは辛くないですよ」と言っていましたが、
さすが、インド人って言っていいでしょうか。
辛いものは辛い、甘いものは甘いのがインドだそうですが、
ガイド氏曰く、「吐き出してしまうほど甘いスィーツがある」そうです。
想像もつきませんが、インド人は大好きなんだとか。
帰国するまでに味わうチャンスはありませんでしたが、
一度、食してみたいような、ないような…。
これからもコメントを楽しみにしています。
シッポさん、私の目先ばかりのコメントに
また楽しみがふえるコメントをいただきまして
ありがとうございます。
ところで、いつも冷静な判断をなさるシッポさんですが、
この度の旅行の中でハプニングは
なかったのでしょうか?
この先の旅行記では神聖なお話しの中に
イケメン?もご登場かも…とのこと。
また楽しみにさせていただきます。
それにしてもマスク姿は、当たり前のような
街の風景となりつつあるようですね。
今日の空は青くすっきりしていますね。
しゅんりんちゃん
ありました。
早くも3日目に、夫の腱が切れたのです。
前正覚山への坂道で、夫が良寛さんよろしく、地元の子どもたちとはしゃぎにはしゃいだのが…。
でも、シッポさんはキレるわけにはいきません…
旅行社サイドが必要に応じて車イスや駕籠を用意して下さいましたが、
鎮痛・消炎クリームを塗る&シッポさん印の全身松葉杖が重宝したようです。
実は、この日の午前中、若い学院生同志のカップルに刺激された方が、「シッポ夫妻もいかがですか?」と提案!?
彼も同じく若いのですが、新婚さん…。でも、勉強のために入寮…、というイケメン。
きっと、ご自分のなかでは「鬼可愛い」奥様を思い出していらしたと思うのですが…。
さて、シッポさんの反応やいかに!
「そうですね、妻が夫を介護しているように見えるかも…」と笑ったのですが、
その通りになりました。
帰国してすぐMRIを撮り、完治まで数週間かかりました。
シッポさんは、偉大なる予言者かもしてません。
つまらない話に付き合っていただき、恐縮です。
このお詫びは、ネパールのイケメンがいたしますのでお許しくださいね。
シッポさん、このハプニングは少々痛々しいですね。
でも、シッポさん印の全身松葉杖は、
何よりも頼りになるものだったでしょうね。
シッポさん強い!ですね。
そして今、良寛様のお足はいかがですか?
旅行中もケガ・病気はあることなのでしょうが、
シッポさんのご旅行中にもあったとは…。
ご夫妻の仲のよさとお互いの存在の必要性を
十分に感じられたことでしょう、ね。
結果的には、はなまる印のハプニングですね。
しゅんりんちゃん
良寛さんは、京都に思いを残しつつも帰山…
おかげ様で、足はもうすっかり大丈夫です。
ところで、シッポさんは、いつも、そうやって!?こうやって!?
強い・つよい・ツヨイと言われつづけるのでしょうね…。
でも、いつかはあの強かったシッポさんが…と、言われる日も来るでしょう!?から
その日を楽しみに年を重ねることにしましょう。
ネパールのイケメン登場までしばらくありますが…ヨロシク!