インド・ネパール旅行記⑨-涅槃への道を訪ねて‐
カテゴリ:レポート 投稿日時:2013年3月17日7:00 PM コメント:7 Comments
旅行6日目(2012.12.22・土)。
私たちは、ラジギール(Rajgir)からガンジス河にかかるマハトマ・ガンジー・ブリッジを渡り、
バイシャリ(Vaishali )へ来ています。
これから、ケサリヤ仏塔→昼食→涅槃堂→荼毘塚→最後の説法地→八分骨地の参拝・参観の予定ですが、
昼食後は、クシナガラ(Kusinagara)へ移動してのこととなります。
今日の参拝・参観についてお話しする前に、
私たちが体験した範囲で、
冬のインドについて書いてみましょう。
12月17日にインド北東部コルカタ(Kolkata)から入国した私たちは、
翌日、日中の日差しに暖かさを感じていました。
しかし、東部ガヤー(Gaya)へ移動のため乗車した列車のなかでは、
日の陰りとともに毛布が必要となり、
さらに、専用バスでブッダガヤー(Buddhagaya)へ着いた辺りから、
寒さを実感させられるようになりました。
ブッダガヤーからラジギール、バイシャリへ移ってからは、
辺り一面が霧に包まれ、
日中もそれが晴れることがほとんどなくなりました。
世界最高峰ヒマラヤ山脈の麓にあって
それ以外は起伏のない平地が続くことから、
ガンジス河からの湿った空気が滞留するようです。
また、ホテルの床は大理石仕様で、
私たちにはその豪華さよりも石のもつ冷たさが堪えました。
ベッドに入る前に毛布を一枚余分にもらいましたが、
寒くてたまりません。
ホッカイロを貼りコートを着用しての就寝となりました。
この暖房なしの寒さ対策は、
ネパール・カトマンズに入る(25日)まで続くこととなりました。
3日目(19日)に参拝したブッダガヤーの印度山日本寺の派遣僧が、
「2月は20℃、3月は30℃、4月になれば40℃近くなります…」と説明されましたが、
本編がアップされるとき(2013.3.17)には、もう30℃を超えている頃ということになります。
生活が、暑さにどのように対処してゆくかという仕様になっていることは、必然でしょう。
さて、ケサリヤ(Kesariya)仏塔遺跡です。
ホテルを7:00過ぎに出て8:00過ぎに到着しましたが、
今日も一面の霧に包まれています。
発掘されているもののなかでは、世界で最も高いといわれているものです。
ここケサリヤは、ブッダとブッダを師と仰ぐ人々との別れの地でもあります。
80歳になったブッダは、周囲の人々に入滅の日が近いことを告げました。
ラジギールの霊鷲山を出て、
故郷のカピラヴァスツ(Kapilavastu:カピラ城)※1を目指し、
説法の旅に出たのですが、
ブッダは、慕ってついてくる人々に托鉢椀を渡して帰しました。
その場所といわれています。
参観後、専用バスで4時間揺られてクシナガラへ移動です。
昼食の後、涅槃堂と荼毘塚を参拝し、最後の説法地を参観しました。
ブッダの、故郷カピラヴァスツへの旅は、
クシナガラで終わりを告げます。
途中の村※2で、鍛冶工のチュンダ(Cunda)が捧げた食べ物※3により、
入滅へと導かれてゆくこととなったからです。
しかし、ブッダはこのことでチュンダが追及されることのないように、
次のように弟子のアーナンダ(Ananda)※4に言い含めています。
涅槃への旅を最終完成へと導いたチュンダの料理は大きな功徳である、と。
チュンダの料理は、
菩提樹下で覚りを開く前に
尼蓮禅河の畔でスジャーター(Sujata)から受けた乳粥とともに、
二大供物とされました。
「ブッダは生命を燃焼させ
寂かに滅に入った
2月15日 夜半
遠くで 雷鳴
満点の星は いっとき光りを消し
声をひそめた― 」p39 ブッダの道 コマ文庫
入滅(にゅうめつ)は、釈迦八相の⑧になります。
ブッダはここで荼毘に付されました。
塚は、歴代の王の保護や人々の信仰によって、
大きくなっていきました。
順序は前後しますが、
ブッダが入滅前に最後の説法をした場所です。
御堂には鍵がかかっておりましたが、
開けてもらっての参観となりました。
ブッダは荼毘に付された後、
その舎利(遺骨)は部族間の争いのなかで8つに分配されました。
その200余年後にアショーカ王によって再分配されたことは、
前回述べた通りです。
田園風景のなかに柵がつくられ大きな菩提樹がそびえていましたが、
添乗員氏によると、最近整備されたばかりとのことでした。
17:18ホテル着。
明日(23日)は、祇園精舎→スダック長者屋敷跡→スリランカ寺院の予定です。
次回をお楽しみに!
※1カピラヴァスツ:現在のネパールと北インドの国境付近に位置していた。その所在については2つの遺跡が候補地とされている。ネパール領のティラウラ・コット(Tilaura kot)とインド領ピプラワ(Piprahwa)とがそれぞれ主張している。
※2パーヴァー村:下流でガンジス河と合流するガンダック川流域にある、現在のチャティハウ村(チュンダ村とも)
※3チュンダが捧げた食べ物:料理名が「Suukala maddava/スーカラ(野生豚)・マッダヴァ(柔らかい)」であったことから、①豚肉料理とも②キノコ料理とも言われている。ブッダの年齢を鑑みて②が有力説。食べるやいなやブッダは猛烈な腹痛に襲われ、下痢も起こった。 チュンダ(Cunda)は、シュードラ(隷民)に所属する下層階級。
※4アーナンダ:ダイバダッタの弟、ブッダの従弟。ブッダの身近にあって25年、最も多くを耳にした弟子として「多聞第一」を称せられる。ブッダ入滅後、教団の2代目統率者となる。
シッポさん、大理石は豪華ですが
本当に寒かったでしょうね。
冷たさが伝わってくるようです…。
よく耐えられましたね。
(私はできそうにありません…)
知りたいことを求めて進んでいくと
色々有りなんですね。
それを受け入れることができないと進めませんね。
たぶん、シッポさんはこの旅の中で
確かにされたことも多かったのではないでしょうか。
そんなことを感じます。
今日はすこし冷たい雨です。
今年は桜の開花も早目だとか。
春ですね。
しゅんりんちゃん
早速のコメントをありがとうございます。
事前に送られてきたしおりには、防寒対策を十分にと書いてありましたし、
良寛さん(正しくは、極楽蜻蛉坊主:ごくらくとんぼうず)は、
事前に、寒さ対策については最重要項目として説明を受けていましたので、
暑い国のイメージだけではいけないのだと、ようやく自覚!?
おかげで寒さに「くたばることなく」、元気に帰ってこれました。
ところで、本日、インドのイケメンはいかがでしたか?
しゅんりんちゃん好みでしたでしょうか?
もしそうじゃなかったら、ネパールのイケメン登場まで我慢&許してくださいね。
どんなことが「この旅の中で 確かにされた」のか…
よく分かりませんが、これだけは言えるかしらん。
人は、いつか死ぬ(確実性)
でも、それがいつになるかは分からない(不規定性)
だから、これからは丁寧に生きてゆこう、と。
でも、出来てないんだなあ…今日も。
反省(だけなら、サルでもできる)!
シッポさん、もう笑いが止まりません、ガハハハ
反省もできない私は、何でしょう?!(笑)
「進歩」もないと?!(何か感じられましたでしょうか)
良寛さんもようやく…とはありますが、自覚を
なさったということは良し!という結果でしょうか。
そして、ハッとさせられました。
「人はいつか死ぬ」
「でもそれがいつになるかはわからない」
今、この年になって思わないことではありませんが、
日常に流されてます。
やっぱり「反省」ですね。ウキーッ!
あっ、イケメンの警備員さん。
立ち姿がえらくカッコイイなあーと思いました。
モデル風ですよね。
両手をポケットに入れて、足元もいい感じです。
ネパールイケメンも期待します(笑)
しゅんりんちゃん
ガハハ&ウキーッ!なコメントをありがとうございます。
イケメンチェックもハイレベル…
「モデル風ですよね」と言われて気づいた次第…
一瞬を捉えての、その一瞬に「存在感」が醸しだされているのですから、
やはり、このインド・イケメンさんの内面から滲み出ているものでしょうね。
では、ネパール・イケメンさんは何を…オ・タ・ノ・シ・ミ!
シッポさん、
しゅんりんちゃん、
今日の午後7時には、次の旅行記がアップされるので、
その前に、一言、返信します。
旅行記⑧⑨を読み、「イケメンの警備員」を
チェックしてみました。
そうですね。ピアのっこさんは、○○?年前、
ある歌手のコンサートに行きました。
細身で、ダンスが上手で、今も、その人は、
細身で、ダンスが上手で、確か、再再婚をしました。
シッポさんの、奥深い旅行記に
軽い「ノリ」で返信してしまい、「反省」!
また、ゆっくり、読ませていただきます。
いつも、ありがとうございます。
ピアのっこさん
しゅんりんちゃん
旅行記⑩が、24日19:00にアップされていませんでした。
投稿予約ミスです。
気がついてアップ完了済みですが、
こんなことじゃあ信用なくしますね、と反省しています。
⑩では、⑪でネパールへ入国することを予告しています。
いよいよネパール・イケメンの登場…となりますか?なるでしょう!どっちかな…
これからも、よろしくお願いします。
そして、こちらこそありがとうございます。