「しっぽのないシッポさん」のブログ

ブロゲ


例の「ブログ読みました!文字ばっかり!」女史から「ブロゲってなに!?」のメール。

「…?」と返信すると、今度は「ブログって書いてあるんだろうけど、ブロゲって読める!」とコール。

もしかしてHPのメニューのことかしらと思いつつも「そんなこと言われたのはじめて…」と口答え!?すると、

「みんなやさしいからね…、私もやさしいけどちょっと趣がちがうだけよ…」と豪快に笑い飛ばされてしまいました。

「コメントで送信してもらってもいいけれど…」と私も負けずに笑い返すと「残るからね。私はいいけどシッポさんがね…」と配慮があるようなないような返答は、前回同様。

「それはそうと、ケータイそろそろスマホに替えたら?」と言われたのを、「それはそうと、ケータイそろそろスマホを買えったら!」と言われたようにも聞こえたのだから、お互いさまだなあ。

ケータイを閉じて「ブロゲかあ、まあ、読めなくもないけどなあ。
でも、コラムと並んで貼り付けられているんだからやっぱブログでしょう!それとも、どこかにブロゲってことばある?」などと一人でブツブツ。

一応、あるかもしれないと手元の電子辞書で引いてみたけれど、ありませんてば!

これも錯視?頭をきれいに飾ったおしゃれな女性の笑顔に見えなくもない!

同じ事(事象:事実と現象)を見たり聞いたりしても、
人は自分と同じように見ていないし聞いていない、
もちろん、
自分も人と同じように見ていないし聞いていない、
ということを科学的に理解するきっかけを得たのは37歳のときでした。

遅い成長ながら保育系短大を卒業して4年後に実験心理学系大学の3年次に編入し、必修科目「実験心理」を履修。

編入なので
2年時に履修すべき「一般実験」と「特殊実験」の2科目&400字×20枚(参考文献3本以上)のレポート作成に苦労しました。

俗に言う文系の私はデータ処理にも追われ…と、ここまで書いて話がズレはじめていることに気付きました。

元に戻りますね。

例えば、
各々一定の長さの直線の両端に矢羽が一定角度で
①開いたものと②閉じたものとをつけて2本平行に並べ比較した場合、
直線の長さは①>②に感じられます※。

これを錯視といいますが、ロボットでもない限り誰もがもつ見誤りです。

錯視量は、矢羽の角度によっても異なりますし、また、個人差があります。

これをエイヤッと結論づけると、人間は誰もが見誤る(一般的法則)ということ、

その見誤りには個人差がある(個別的法則)ということです。

つまり、日常生活レベルに置き換えると「私がこの目で見たから間違いない!」と言い張らないほうがよいということになります。

この謙虚さ!?を前提にすると、
一組の男女を見て「あやしい」と見るか見ないかは自分自身の心を映し出している(投影)と考えられなくもありませんし、
客観的な視点の重要性も知っておく必要があるということになります。

心理学徒ならば誰もが最初に出会う、人間らしさの何たるかです。

「ブログ読みました!文字ばっかり!」女史の見誤り「ブロゲ」もシッポさんの聞き誤り「買えったら」も、
そこに何らかの主観的な思いが反映されているということです。

つまり、思いは重いのです。

心と付き合うためには、この重さを知っておく必要があるということではないでしょうか。

※心理学基礎における「ミュラー=リヤーの錯視」(Muller-Lyer,1889)実験


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